夢か恋愛か~寝とられた女優~ その2
2週間後、初顔合わせの日。
「よし、行くか」
郡山に肩を叩かれ、さゆりも気合いが入る。
「はい」
大磯監督の二年ぶりの映画と言うことも合ってスタッフの数と熱気が凄い。
さゆり、郡山、陽子の三人はそれだけで圧倒される。
「あの。すいませんが、役者の顔合わせなんですけど」
「あーっ。あっちですよ」
若い男は指を差し、快活に社長に答える。
「おい、あっちだってよ」
「ふぅー、緊張してきた」
さゆりは陽子に寄り掛かる。
「もうしっかりしてよ」
陽子はさゆりの背中をパシッと叩く。
「おっ、中谷さゆりちゃん」
突然後ろから声を掛けられ、三人は慌てて振り向く。
「プロデューサーの谷口です」
さゆりの身体が一瞬で固まる。
この人はあのことを知ってる。
しかし、さゆりの心配をよそに、谷口は気にする様子もない。
「頑張ってね、さゆりちゃん」
「は・・・はい」
「気さくな人でイイ人そうだね」
「・・・」
「どうしたの」
「う・・・ううん。なんでもない」
陽子はさゆりが一瞬示した顔の変化に不安を覚えた。
「さあ、入ろうか」
郡山の言葉に、さゆりは口元を引き締めた。
そして、さゆりは新たな女優への扉を開いた。
それから、数カ月後
映画の公開の期日が近づいてきた。
スポーツ新聞では『アイドルからの脱皮、中谷さゆりの大胆なベッドシーン』と
センセーショナルに伝えられていた。
裕介は映画の内容が書かれた新聞記事を信じられない思いで何度も読み替えし、
いやまさかと、別の新聞を買ってきても、そこには同じような記事が載っていた。
さゆりとのメールや電話では映画の内容の話題は出なかった。
今から考えてみるとさゆりが意識的に避けていたのだろう。
映画見に行くよと言っても、さゆりは言葉を濁していた。
裕介は試写会のチケットを陽子から内緒で受け取っていた。
さゆりの大胆なベッドシーン、そんなもの見たくないという気持。
しかし、相反する気持もあった。
裕介は真実をこの目で確かめたかった。
この目で確かめないことには到底真実とは思えなかった。
最初にさゆりから、映画の内容がラブストーリだと聞いた時に、
それなりの覚悟はあった。
キスシーンなどは当然あるんだろうなと。
でも、それは演技の上だしと自分を納得させていた。
しかし、現実にはベッドシーンと言う想像を超えたものが突き付けらることになった。
裕介は試写会までの日々を恐怖にもにた思いで過すことになった。
開館30分前、試写会の当日。
試写会の列が映画館に出来始めていた。
裕介もチケットを握り俯き加減で列に並ぶ。
列に並んでいるのは映画の内容がラブストーリーというのにほとんどが男だった。
恐らくさゆりのベッドシーン目当てなのだろう。
「さゆりちゃん、全部脱いでるらしいよ」
その声に振り向くと男が二人、ニタニタとした笑顔で喋っている。
「全部って、乳首見えてんの」
「そんなの当たり前、身体中舐められてるらしいぞ」
裕介は彼等の発する言葉に怒りで震えながらも、
その怒りを、どうすることも出来ず、
ただじっと聞き耳を立てていることしかできなかった。
暫く待っていると、列の前の方がざわざわとし始め、扉が開いた。
几帳面に列に並んでいた男達が、開いたと同時に中に我先にと傾れ込む。
裕介は興奮した男達に揉まれながらなんとか席につき、一息ついた。
暫くすると照明が落ち、館内が暗くなる。
息を飲むように館内は静まり返り、時折誰かが静寂に耐えきれず咳をする。
裕介は自分の激しい胸の鼓動を必死に抑えようとしていた。
一度大きく深呼吸をする。
スー、ハー。
息を吐き出すと、あわせるように映画が始まった。
映画は淡々と物語を進めていく。
しかし、裕介には映画の内容が上手く頭に入って来ない。
ただ、彼女であるさゆりが大きなスクリーンの中で様々な表情を見せているのを、
傍観者の一人として見ていた。
映画の中盤、
さゆりと彼氏役の二枚目俳優との濃厚なキスシーンがアップで映し出された。
さゆりの舌がその彼氏の舌と絡み唾液が光る。
隣の男が「おぉ」と感嘆の声を漏らす。
さゆりが自分以外の男とキスをしている。
それも、あんな濃厚な。
裕介の瞳にはうっすらと涙が浮かぶ。
しかし、裕介の心情など無視して物語は止まることなく進んでいく。
彼氏役の男はさゆりに内緒でたちの悪い人間と付き合っていた。
ベテラン俳優の斉藤を親玉とするヤクザの一味だった。
バカな彼氏は賭けマージャンにはまり込み、
到底返しきれない借金を背負ってしまう。
彼氏は借金の追い立てに怯え身を隠すが、結局は斉藤に見つかり捕まってしまう。
斉藤は彼氏から借金を回収出来ないと分かると、
斉藤を脅し、さゆりという彼女がいることを知った。
斉藤は一目見てさゆりを気に入り、さゆりに身体を要求した。
さゆりは逡巡しながらもバカな彼氏を愛するがゆえに、
自らの身体を差し出す決意をしてしまう。
隣の男が映画が佳境に進むにつれて少しずつ前のめりになり、
何度も唾を飲み込む音が聞こえる。
不安げなさゆりはホテルの斉藤の部屋の前に立っていた。
部屋の扉が開き、にやついた斉藤がさゆりを中に入るよう促す。
斉藤はベッドに座り、さゆりに服を脱ぐように要求する。
窓から差し込むオレンジの夕焼けを背に、逆光の中でさゆりは服に手をかける。
震える手で服を脱ぐと、白い下着が、そして、さゆりは背中に手をまわす。
裕介は心の中で、やめろ、やめろと叫ぶ。
しかし、さゆりは裕介の叫びを無視して下着を取ってしまった。
さゆりの顔は逆光で伺い知れない。
スクリーンには太陽の眩しさとさゆりの裸体が映し出された。
これは現実なのか夢のなのか。
さゆりの身体のラインがシルエットのように浮かび上がる。
裕介の混乱をよそに、画面は太陽に吸い込まれるように暗転し場面が転換した。
次の瞬間、ベッドでシーツに包まり一人寝ているさゆりの姿が映し出された。
その様子は事後の様子を想起させる。
もっとも恐れていたベッドシーンがない。
新聞に書かれていた激しいベッドシーンは客を呼ぶためのただのデマだったんだ。
隣の男が肩透かしをくったように、背もたれに身体を預けた。
裕介は気が抜けたのか変な笑いが込み上げてくる。
さゆりはヌードにはなったが、それも脱いだかもハッキリとはわからないものだった。
ほんとうに良かった。
しかし、ホッとした裕介の淡い幸福はすぐに悪夢のような現実で覆い尽くされた。
次のシーンでバスルームからバスタオルを巻いた斉藤が映し出される。
斉藤はそのまま、のそのそとベッドに近づく。
ベッドに上がると斉藤はもぞもぞとさゆりに近づき、
脂ぎった顔を震えるさゆりに近付ける。
さゆりは今にも泣き出しそうな顔で嫌だ嫌だと顔を背ける。
しかし、斉藤はさゆりの頭を乱暴に掴むと、無理矢理顔を自分の方に向けると、
さゆりの唇に吸い付いた。
すると、館内の緩慢になっていた空気が一瞬で緊張を帯びた。
斉藤はさゆりの唇を堪能するように舐めまわし、徐々に舌をさゆりの首筋に這わせる。
斉藤の舌は徐々にシーツで覆い隠されたさゆりの胸元に向かう。
次の瞬間、斉藤がさゆりの身体を隠していたシーツを剥がした。
スクリーンにさゆりの白くて豊満な胸が映し出された。
今度は、はっきりとすべてを映し出していた。
館内から低いどよめきが起き、隣の男の腰が浮く。
裕介は何が起ったのか一瞬理解出来なかった。
ただ、スクリーンを凝視しさゆりだけを見ていた。
剥き出しになったさゆりの胸。
その胸の突端、乳首に斉藤は顔を近付ける。
すると、さゆりの胸にカメラがズームする。
それを待っていたかのように、斉藤は乳首を舐めはじめる。
カメラは執拗にさゆりの乳首に焦点をあてる。
さゆりは身体を懸命に捩るが、斉藤に手を掴まれ動きを抑えられ、
カメラは執拗にさゆりの乳首を追う。
さゆりの乳首がだんだんと隆起していく様子が淡々と映し出されていく。
斉藤が舐めるのを止めると、カメラがあわせるように引いていく。
斉藤は掴んでいたさゆりの手を放すと、
その手をさゆりの下半身に向かわせる。
そして、何かを探り当てた斉藤の手は、
さゆりの下半身だけは辛うじて隠しているシーツの下で動かし始めた。
さゆりは慌てて追うように手をシーツの中に入れ
斉藤のその手の動きを止めようとする。
しかし、そのときシーツに入れようとしたさゆりの手がシーツに引っ掛かり、
太ももの辺りまでめくれてしまった。
白い下着が太ももの辺りまでずれ下がっていて、
画面にさゆりの黒い陰毛が大写しになった。
さゆりはシーツを慌てた様子で引っ張りあげた。
一瞬だった。
しかし、確かにさゆりの陰部は下着で隠されていなかった。
そして、裕介は見逃さなかった。さゆりのその時の表情を。
さゆりは恥辱とも恐怖ともいえない表情をしていた。
斉藤はさゆりが抵抗をしなくなったのいいことに手の動きを激しくする。
「あぅっ」
さゆりの声が漏れた。
「あっ・・・あぁぁん」
・・・喘ぎ声。
その声に呼応するように斉藤はシーツの中に身体を入れ、さゆりにのしかかる。
さゆりは懸命に腰を捩っているが、
斉藤は手をあてがいながら目当てを見つけたのか腰をぐいっと大きく動かした。
その瞬間をカメラが逃さずさゆりの顔をアップでとらえていた。
驚きとも、屈辱とも言えぬ、なんとも言えぬ表情を見せた。
斉藤はあてがっていた手をシーツから出すと、カメラはその手をとらえる。
指に白い液体がついている。
カメラは再度さゆりの顔に焦点を移す。
さゆりは目を瞑り何かを堪えようと唇を噛み締めた。
その何かはこのシーンを見ている誰もがわかっていた。
カメラはその瞬間を決して逃さないように静かに待つ。
今この瞬間を見ている館内にいる者も息を飲んで待つ。
斉藤は腰を動かし始めた。
最初はゆっくりと緩慢な動き、身体を擦り付けるように動く。
徐々にスピードを上げていく。
斉藤が腰を動かすたびに、
微かにさゆりの口から吐息とも喘ぎ声とも思える声が漏れる。
そして、その瞬間が来た。
声を懸命に押し殺していたさゆりがその瞬間、
「・・・あぅん」
と、堪えきれず小さな声で啼くと電流が身体を走ったかのように少し震えた。
カメラはじっとさゆりの顔をとらえていた。
さゆりの顔は情けなく歪み、瞳には涙が溜まっていた。
そして、画面は暗転した。
映画は彼氏が身体を捧げたさゆりを許すことが出来ず別れるという
後味が悪いものだった。
裕介は映画が終わっても暫く呆然としていた。
今みていたものが現実だという感覚が持てない。
館内はそんな裕介を無視してふわっと明るくなる。
明るくなると、館内はざわざわと異様な雰囲気になった。
すると、舞台の端に女性が一人出て来て、マイクで誰かの呼び込みをした。
すると舞台袖から数人の人が出て来た。
そして、最後にさゆりが出て来た。
さゆりは恥ずかしそうな素振りすら見せず堂々と舞台で立っている。
裕介はさゆりをじっと見つめていた。
さゆりの表情は見たことがないほど大人びていて、笑顔で前方を見据えている。
マイクがさゆりに向けられると、さゆりは笑顔のまま一言二言感想を述べ、
ゆったりと館内を見回した。
さゆりの視線が徐々に裕介に近づき、ついに裕介と目が合った。
さゆりは一瞬眉を動かしたが、戸惑う裕介に向けて微笑んだ。
そんなさゆりから裕介は目を逸らしてしまう。
さゆりはもうずっと遠くに行ってしまったんだと始めてその時裕介は気付いた。
裕介はいたたまれず涙を浮かべながら席を立った。
映画は物議を醸した。
あの問題のシーンは本当にやっているのかと。
しかし、一度でも映画を見たものはあれが演技だとは到底思えなかった。
斉藤はインタビューでそのことに触れられると、
にやっと笑い、想像におまかせしますとはぐらかした。
そのことが余計に真実味を帯びさせる結果となった。
さゆりのベッドシーンは話題となり、ネットではあることないことが書かれた。
結果、さゆりのベッドシーンを見るがために映画は飢えた男で連日の満員となっていた。
裕介は何も出来ずにいた。
映画が公開されて半月、さゆりと一度も連絡をとっていない。
それは裕介からも、さゆりからも、お互いに。
裕介の周りでも、さゆりの出演した映画は話題になっていた。
おそらく、みんなもう見たのだろう。
裕介はあの試写会の日以後、さらに劇場公開されてから数回見に行った。
そのたびに、あのシーンが否応なく始まり、胸が張り裂けそうになった。
それでも、裕介は得体の知れないものに惹き付けられるようにまた見に行く。
自分の目に焼きつけるように、スクリーンを、さゆりの姿を凝視し続けた。
さゆりは一躍話題の女優となった。
その清楚な顔立ちとのギャップの演技。
映画の新人賞はもちろんのこと、主演女優賞も確実だと巷で言われていた。
これから、花々しく女優として輝こうとしていた。
しかしその矢先、週刊誌にゴシップ記事が載った。
さゆりは大磯監督の愛人で、彼と今回の仕事の為に寝たと。
さゆりを露骨に陥れるような内容だった。
その記事は、さゆりに役を奪われた大手事務所の差し金とも言われた。
そのことに関して、大磯は特に否定しなかった。
さゆりの側は慌てて否定したが、噂を打ち消すことは出来ず、
ただ、マスコミ対策の脆弱さを露見するに過ぎなかった。
それからまた半月が過ぎた。
裕介は無心でバイトに励んでいた。
働いている間は、すべてを忘れられるからだ。
バイト先には、裕介とさゆりの関係を知る者はいない。
その空間が、裕介の心を幾分落ち着かせてくれた。
その日もバイトに行き、疲れて帰った時に不意に電話があった。
さゆりからだった。
「もしもし」
「・・・」
「もしもし」
「・・・もしもし」
「ゆうちゃん元気だった?」
「ああ」
「そう。・・・ひさしぶりだね」
「ああ」
「・・・」
[・・・」
さゆりが何も言わないのに苛立ち裕介から切り出した。
「・・・映画見たよ」
「・・・そう」
「・・・ああ」
「どうだった?」
どうだった。その言葉に裕介は怒りを覚えた。
あの映画の感想を言えと、裕介は心にあった最後の糸が切れたように感じた。
「よかったよ」
「・・・そう」
「あの、ベッドシーン迫真の演技だったな」
裕介の声は震えていた。
「男の子ってそういうとこしか見てないんだね」
「・・・女優ってのは、なんでもやるんだな」
「そうだよ。作品に必要なシーンだから」
裕介の挑発とも言える言葉をさゆりは軽くいなす。
それで裕介はますます苛立つ。
「週刊誌読んだよ、仕事貰うために寝たんだって」
「・・・」
さゆりは黙る。
「なんとか言えよ」
「・・・寝たよ」
「ほんとに・・・最低だな」
「芸能界じゃそんなの当たり前だから」
「事務所の社長も、マネージャーも最低の人間だな」
「何も知らないくせに、社長達の悪口言わないで!
・・・ゆうちゃんも他の女の子と遊んだらよかったんだよ」
「俺はそういうことできないから。
もう・・・なんか、俺の知ってるさゆりじゃないみたいだな」
「そう」
「ああ」
「・・・ゆうちゃんはほんとのわたしのこと何も知らなかっただけ」
「・・・そんなこと俺は知りたくなくないし、知りたくもなかった
・・・もう俺達終わりだよ」
「・・・うん」
裕介はそこで携帯の電源を切った。
そして、さゆりのアドレスを携帯から削除した。
裕介は携帯を壁に投げ付けた。
これがさゆりとの最後の会話なのか。
さゆりに対する怒りが沸き上がる。
でも、それは本当の気持じゃない。
本当は・・・自分の無力感、喪失感に押しつぶされそうになっているだけだ。
それを、怒りという感情に置き換えているだけで、
心の中では「さゆり、さゆり、さゆり」と叫んでいる。
裕介はやりきれない感情に髪の毛を手で掻きむしった。
ホテルの一室。
真っ暗な部屋の中で、さゆりの頬を涙が伝う。
裕介に電話するつもりはなかった。
試写会の日、裕介がいることを知ったあの時から、
私にはもう帰る場所がないのだとあらためて実感していた。
強くならなくては、そう自分を必死に励ましてきた。
しかし、今さゆりの置かれた現状はそれをも挫くほどに追い込まれていた。
マスコミから逃れるためにホテルに閉じこもる生活。
一旦マスコミの前に姿を現わせば、彼等の向けるさゆりへの好奇の視線。
そして、何よりも家族のような関係だった事務所の亀裂がさゆりを苦しめていた。
携帯を眺めるているうちに、無意識に裕介に電話していた。
携帯から聞こえる聞いたことがない怒気の含んだ裕介の声。
「ゆうちゃん」
裕介の声、優しい裕介の声はもう二度と聞けないんだ。
扉が開く音と共に、部屋の中に光が差し込んだ。
「陽子さん」
陽子はコンビニ袋を抱えて部屋に入ってきた。
さゆりは涙を拭うと笑顔で近づき、コンビニ袋を受け取る。
「ごめんね、コンビニ弁当で」
「ううん。ありがと」
「明日、雑誌のインタビューが入ってるんだけど・・・」
陽子はさゆりの反応を伺うように言った。
「大丈夫です。何時からですか」
「10時から、恵比須のスタジオで」
「はい・・・あの、陽子さん・・・社長は」
陽子は首を振る。
「まだ、帰って来ないの」
「そうですか」
数カ月前に遡る。
さゆりはようやく映画の撮影現場にもなれてきていた。
誰もが熱っぽく取り組む撮影現場、
さゆりはその中の一員になれているという事がほんとに幸せだった。
大磯は監督という立場になると、あの日の面影すらなく撮影に集中していた。
その日も撮影が終わり、明日が休みということもあって皆で飲みに行くことになった。
酒宴の席では皆日々の疲れを打ち消そうと大いに盛上がった。
日々の疲れからか、何人かがそのまま本格的に酔って寝てしまう者もいた。
そのうちにさゆりに対し、隣に座っていた斉藤が絡みだした。
「やめて、下さい」
斉藤は嫌がるさゆりの肩を無理矢理に組み、服の上から胸を触わってきた。
「やめて!」
「いいだろ」
「やめて下さい」
マネジャーの陽子が危機を察して割って入る。
「へっ、なんだよ。お前、監督と寝て仕事貰ったんだろ」
斉藤はマネージャーの背に隠れているさゆりを覗き込んで言う。
「えっ」
「そんなことみんな知ってるよ。今さら清純ぶっても意味ないんだよ」
「いいかげんにして下さい」
陽子はさゆりと斉藤の間に入って、斉藤を睨み付ける。
「ふっ、もういいよ、酔いが覚めた」
そう言うと、斉藤は出て行った。
「陽子さん・・・あのこと、みんなに・・・知られてるの」
「あんなの鎌を掛けたはったりよ。気にしない、気にしない」
陽子はさゆりの肩に手を置くと、優しく微笑みかけた。
さゆりは陽子になんとか微笑み返したが、
心の中ではあのことをみんなに知られているのと、不安と絶望が渦巻いていた。
さゆりは斉藤が発した言葉が気になって、
次の日の撮影からは演技への集中が散漫となり、
NGをたびたび出していしまい、そのたびに撮影はストップしていた。
最初は優しかったクルーからも、白い目で見られることが多くなっていた。
そして、そのことでさゆりはまた畏縮するという悪循環に陥っていた。
そんなことが続いて、撮影期日は押していった。
ある日、さゆりはプロデューサの谷口に呼ばれた。
さゆりはなんだろうかと心配だった。
怒られるのだろうか、でも、本当の心配は別にあった。
谷口はあのことを知っている。
さゆりは陽子、それに社長の郡山と一緒に谷口の待つ料亭に向かった。
料亭につき座敷に通されると、そこには谷口の他に男が一人いた。
頭が禿げて太っている、中年の男。
「この方は、スポンサーの山口さんだ」
さゆりと山下は驚き仰々しく挨拶をする。
「まあ、いいから。そこに座って」
「はい」
「あっ、君達はもういいから」
腰を降ろそうとしていた郡山と陽子は驚き谷口を見る。
「君達はもう帰ってもいいから」
「どういうことですか」
郡山は情けない顔をして訪ねる。
「さゆりちゃんだけでいいと言ってるんだよ」
「・・・出来ません」
戸惑う郡山をよそに、陽子は毅然とした態度で言った。
陽子にはわかっていた。いや、郡山にもわかっていたのだろう、
このままさゆりを置いて行けばどうなるか。
「はっ、君は何言ってるのかわかってるのか」
「さゆりを一人には出来ません」
陽子は谷口の目を真直ぐに見据え言った。
「おいおい、谷口さん。話が違うじゃないか」
山口が不満げに言った。
「いえ・・・あの」
谷口はおどおどとした様子で山口に返事をし、陽子を睨み付ける。
「お前らは自分達がどう言う立場か分かってるのか!
下手くそな素人女優が身体で仕事を貰っておいて、なんて言う態度だ。
このことを公表して、お前らを芸能界から抹殺することなんて簡単なことなんだぞ」
「なんて、言われようと出来ません」
陽子は頑として受け付けない。
郡山は心配そうにそのやり取りを見ている。
「陽子さん。私、大丈夫だから」
「えっ」
陽子が驚き振り返ると、さゆりは気丈に頷いている。
「そんなことさせられない」
「おいおい。本人がその気になってるのに、何言ってるんだよ」
「いいえ。この子のマネージャーは私です」
「社長さんはどうなんだい」
「えっ、私は・・・」
郡山は即答出来ず、口ごもる。
「社長!」
陽子は郡山のはっきりとしない態度に苛立つ。
「陽子さん、私本当に大丈夫だから」
「ほらほら、本人が決心したんだ。邪魔物はさっさと帰るんだ」
「いいえ。私は許しません」
「いい加減にしろよ」
山口の顔色を伺っていた谷口は、今にもつかみ掛かろうとしていた。
唇を噛み締める陽子。
「・・・私が代わりに残ります」
陽子は谷口を睨みながら言った。
「おい、陽子」
郡山はその言葉に慌てた様子で陽子の腕を掴む。
「はあ。君が残っても意味ないんだよ」
陽子は元女優とあって美しいしがもう32才、さゆりの瑞々しい若さとはほど遠い。
「私の方がさゆりよりもあなたがたを満足させられます」
谷口と山口は顔を見合わせ笑う。
「あんたの度胸は買うけど、あんたに用はない」
「そうだよ、陽子さん。私は大丈夫だから」
「そうだ、陽子何言ってるんだ」
郡山は何がなんだかわからなくなり、突然の陽子の提案にただ戸惑っていた。
異様なほど動揺している郡山の様子を見ていた谷口はあることを思い出した。
その瞬間笑いが込み上げてきた。
「よし、わかった。君で譲歩しようじゃないか」
「えっ」
全員が谷口を一斉に見た。
特にスポンサーの山口は不満を露骨にあらわした。
谷口はまあまあと山口を宥める。
「社長、いいのかい・・・マネージャーは君の奥さんなんだろ」
郡山の顔が凍り付く。
山口はその言葉ですべてを理解したようだ、にたにたと笑いだした。
「陽子・・・」
郡山は懇願するように陽子を見る。
「私、さゆりのこと守るって決めたの。もう二度とあんなことはさせない」
「陽子さん」
さゆりの瞳には涙が溜まっていた。
「だからって、お前が」
「じゃあ、また、さゆりが犠牲になるの。
それで、私たちは何もせずに、すべてをさゆりに押し付けるの。
私にはそんなこともう出来ない。・・・お願いわかって」
陽子は郡山をしっかりと見据え言った。
言葉の最後は郡山を諭すように。
郡山はもう何も言えなかった。
どうしていいか頭が混乱してわからなかったからだ。
ただ陽子だけはという自分の卑怯さが情けなかった。
「・・・陽子さん」
「さゆり、今までほんとうにごめんね。これからは私が守るから」
「もういいか、話はまとまったんだな」
「・・・はい」
陽子は郡山に頷きかける。
郡山は項垂れたまま立ち上がった。
郡山はさゆりを連れて、部屋から出た。
部屋を出る時に郡山は陽子の顔を見ることが出来なかった。
ただ何も出来ないくやしさと、絶望だけが郡山の全身を覆った。
料亭を出ると、雨がポツポツと降り出してきた。
雨粒がとぼとぼと歩く郡山の背中に落ちる。
「社長」
さゆりは郡山の裾を引っ張る。
「社長、ほんとにいいの」
郡山はさゆりを見る。
さゆりは心配そうに郡山を見つめている。
「社長」
「・・・さゆり、お前は先に帰ってろ」
そう言うと、郡山は料亭に戻った。
「陽子、陽子」
郡山は陽子の名を心の中で何度も叫ぶ。
息を切らし料亭に入ると、
仲居の制止を振りきり部屋に向かい、襖を勢いよく開けた。
郡山が襖を開けた時、部屋の中ではすでに悪夢が始まっていた。
下着姿の陽子が山口の股間に顔をうずめていた。
「陽子・・・」
陽子は突然入ってきた郡山に驚き、くわえていた山口の陰茎から口を放し、
下着がずれ上がり露見していた胸を慌てて隠した。
陽子は呆然と郡山を見ていた。
郡山も同じように呆然と陽子を見ていた。
男の陰茎を手にし、ベージュの下着を来た陽子はとても痛々しい。
「・・・どうして」
陽子は唇を震わせる。
「な、・・・何やってるんだ」
「おいおい、何言ってるんだよ。
頼り無い君の変わりに奥さんが身体を張っているんだろう」
郡山は怒りで身体が震える。
陽子は夫に恥ずかしい姿を見られた羞恥に身体を震わせていた。
「お願い・・・帰って」
「陽子・・・」
郡山はどうしていいのかわからず、その場に立ち尽くしていた。
「・・・お願い帰って」
「・・・駄目だ、お前を置いては行けない」
「はっ、じゃあ君はそこにいてればいいよ」
谷口はそう言うと、陽子を抱き寄せた。
「おい!」
郡山は凄い剣幕で谷口につかみ掛かった。
「何するんだ。こんなことしてただですむと思っているのか」
「お願いやめて!」
涙を流した陽子が郡山の腕を掴む。
「・・・陽子」
郡山の身体から力が抜ける。
「どうなっているんだよ」
萎えた陰茎を晒した山口がうんざりした様子で言った。
「いえ、・・・おい、どうするんだ」
谷口は乱れた洋服を整えながら陽子に怒気を含んだ声で言った。
「大丈夫です」
陽子は郡山に向けていた顔を谷口に向け言った。
「この男はどうするんだ」
谷口は郡山を顎で差した。
「お願い、私は大丈夫だから」
「陽子・・・」
「わかった、わかった。君はそこにいたらいい。
私たちは隣の部屋に行こうじゃないか」
谷口は動こうとしない郡山に呆れそう言うと、立ち上がり襖を開けた。
続きになっていた和室にはすでに布団が敷かれていた。
谷口は「さあ」と、陽子を促す。
下着姿の陽子は立ち上がると、隣の和室に入り続いて山口が入った。
襖が閉められると、部屋には谷口と郡山が二人残った。
「おい、本当にそこにずっとそこにいるつもりか」
「・・・」
「まあ、好きにしたらいいよ。
奥さんが他人に抱かれてているのを見ているなんて、いい趣味だな」
郡山は血走った目で谷口を睨み付ける。
しかし、怒りに手、足が激しく震えるだけで身体が動かない。
「・・・あぅ」
漏れ聞こえてくる陽子のただならぬ声。
郡山は閉められた襖を見た。
「あぅん」
「奥さん濡れてるじゃないか」
「いやっ」
郡山は呆然と襖を見ていた。
その奥で行われている悪夢のような現実。
それを止めることも出来ず突っ立っている自分。
「奥さん欲求不満なんじゃないか、こんなに濡らして」
「あぁ・・・ああぅ」
「じゃあ、そろそろ入れるよ」
「あぅん」
「はっは、始まったみたいだな。それじゃあ、私も行かせてもらうよ」
谷口はそう言うと、立ち上がり襖を開けた。
襖が開かれると、ぼんやりとした灯りの下で陽子が山口に挿入されていた。
山口は陽子に覆い被さり陽子の足を拡げ抱えている。
陽子は突然開かれた襖に驚いたのか、郡山の方に目を向ける。
そして、二人の目が合った。
陽子の目には涙が溜まっている。
山口が腰を動かすと、陽子の身体も揺れ、涙が目から零れ落ち頬を伝う。
陽子は唇を噛み締める、押し寄せる快楽から逃れるために。
郡山は目を閉じた。
自分の妻を他の男に抱かれているという事実に、傍観している自分のバカさ加減に。
すでに何もかも手後れだった。
「んっ、んっ、んっ」
目を閉じても、陽子の口から漏れる声が聞こえてくる。
ぱん、ぱん、ぱん、という音が響き、
その音の中に軈て性器から溢れた液体が擦れる音が重なり出す。
郡山は目を開く。
「・・・陽子」
郡山は声にもならず、息を吐く。
陽子の顔は赤く火照り、苦しそうに顔を歪めている。
いや、違う。苦しいんじゃない。そんなことは郡山には分かっていた。
だから、陽子は絶望と快楽の狭間で首を何度も横に振る。
見ないで、見ないでと。
谷口はズボンを脱ぎパンツを下げると、
すでに大きくなった陰茎を陽子の口元に持っていく。
口を閉じていた陽子は突き付けられた陰茎をなすすべなくくわえてしまう。
なぜ、自分はここに戻ってきたんだ、なぜだ・・・。
郡山は立ち上がり、部屋を出た。
外の雨は先ほどよりも強く激しくなっていた。
熱くなった郡山の身体に冷たい雨が降り注ぎ、郡山の身体と心を芯まで冷やした。
次の日、郡山は姿を消した。
事務所に一通の書き置きを残して。
「しばらく一人になりない」
陽子はその書き置きを見て、心配すると同時にどこかほっとしていた。
正直郡山と目を合わせたくなかった。
あんな姿を見られてしまったのだからそれも当然だろう。
あれから谷口は陽子に度々身体を要求した。
その度に陽子はさゆりの代わりという名目で谷口に抱かれた。
最初は義務的な気持だったものだったが、
陽子は谷口に抱かれるたびに身体の確かな変化を感じた。
淡白だった夫とは違う谷口との濃厚な行為に陽子は次第にはまっていった。
陽子の心の中の郡山に対する罪悪感は、やがてさゆりのためという言い訳にかわった。
陽子はそのことに自らの都合のよさを感じ苦しみもした。
だからその捌け口として、さらに仕事に没頭した。
今まで以上に、さゆりのマネージメントに力を注いだ。
その頃からさゆりは裕介との電話やメールも少なくなっていった。
陽子が演技に集中しないといけないと厳しく言ったからだ。
陽子はさゆりが裕介と連絡を取ろうとしているのを見つけると、厳しく叱責した。
さゆりも陽子の演技の為と言う説得に納得し、裕介との連絡を控えるようにした。
さゆりがそういう態度を取っていると、
裕介も察したのか、だんだん連絡してこなくなっていた。
陽子は後日さゆりに内緒で裕介と連絡を取ると、試写会のチケットを裕介宛に送りつけた。
それで、裕介とさゆりの関係は終わると陽子はふんでいたのだった。
恵比須のスタジオ。
「あのシーンについてですけど」
雑誌の記者は予想通りその質問をしてきた。
「その質問についてはお答えできません」
陽子が代わりに答える。
記者は露骨に不快な顔をした。
「じゃあ。大磯監督とはどういう付き合いなんですか」
「すいませんが、そういった質問は」
「えっ、またですか」
記者は舌打ちをすると、仕方なくカメラマンに撮影するように指示する。
さゆりはシャッターが切られていくカメラを前に笑顔が引き攣る。
映画が公開されて以降、インタビューのたびに同じ質問をされる。
そのたびに、あの日のシーンの撮影が脳裏に甦る。
撮影前から、台本を読み、ベッドシーンの撮影があることは知っていた。
そのことについては、助監督からニプレスを付けて撮影すると最初に言われていた。
だから、ベッドシーンの前日に撮影した斉藤の前で服を脱ぐシーンも
実際にはヌードではなく、ニプレスを付けていた。
それでも十分恥ずかしかったが、なんとか演技として割り切れた。
そのシーンの撮影が終わり、その日の撮影は終わった。
撮影後に斉藤が大磯と何やら打ち合わせをしていた。
さゆりと陽子がスタッフに挨拶をし帰ろうとすると、助監督に呼び止められた。
助監督はさゆりに明日はニプレスなしでと何事もないように言った。
陽子は約束と違うと激しく抗議したが、助監督は独自の映画論を並び立て、
結局聞き入れることはなかった。
さゆりはその日の夜、ホテルの部屋の鏡の前で裸になった。
そして、踏ん切りがつくまで鏡で自分の身体を見つめ続けた。
撮影日、いつもの三倍ものスタッフが集っていた。
控え室で沈痛な様子の陽子を、さゆりは私は大丈夫だよと励まし、
意を決し服を脱くとバスローブを羽織り現場に出た。
何人ものスタッフの視線を浴びながら、撮影が始まった。
「よろしく」
斉藤はにやつきながらさゆりの耳もとで言った。
これは斉藤の酒宴の席での復讐なのだろうとさゆりは瞬間に感じた。
スタッフはさゆりの躊躇う時間も与えず準備をせっついた。
さゆりは追い立てられるようにシーツをかぶり、バスローブを脱いだ。
大磯の合図と共にカメラが回る。
さゆりは身体の震えを抑えようと必死だった。
ベッドシーンはリハーサルをせずにすべてが斉藤に一任されていた。
斉藤はさゆりに近づくと、唇に吸い付いた。
斉藤のざらついた舌がさゆの口の中に入ってくる。
斉藤はシーツに手を掛け躊躇なく剥がした。
その瞬間胸に触れた冷たい空気が、自分が裸であるとさゆりにわからせる。
スタッフの男達がこちらをにやついた目で見ている感覚にさゆりはとらわれた。
さゆりは恥ずかしさから目を瞑る。
斉藤はさゆりの胸に手を充てると乳首に吸い付いた。
斉藤は丹念にさゆりの乳首を吸うと、
シーツの中のさゆりの股間に手を充て下着の中に手を差し入れようとした。
「いやっ」
さゆりの口から反射的に声が漏れ、斉藤を押しのけた。
「カット!!」
大磯が大声を張り上げる。
「なにやってんだ!」
大磯の怒号が飛ぶ。
「最初からだ、もう一回!」
その言葉にさゆりは愕然とした。
周りを見回すと、スタッフから冷たい視線が投げかけられる。
さゆりは味方もいないこの中ではどうすることも出来なかった。
陽子は見ていられないのか、目を逸らしている。
我慢しなければ、何度もやり直しになるのだろう、
さゆりは不機嫌な大磯を見てそう確信した。
ただ、こんなこと早く終わって欲しかった。
さゆりは斉藤に身体を貪られるのを無心で耐えた。
「カット!少しは嫌がる演技をしろ!最初から!」
さゆりは大磯を睨むがそのような行為に意味はなく、すぐにまた撮影が始まる。
斉藤はまたさゆりの身体を隅々まで貪る。
そして、また股間に手を充てた。
すると、今度は下着をずりさげた。
さゆりは思わず手で阻止しようとして、シーツがはだけてしまった。
見えてしまった、さゆりは慌ててシーツをあげるが、
そのことでさゆりは畏縮してしまう。
斉藤はお構いなしにさゆりの陰部を弄ぶ。
そして、斉藤はさゆりの上にのしかかると、さゆりの足を拡げ自らの性器を押し入れた。
さゆりは信じられないと言う驚きと恐怖で声が出なかった。
斉藤は硬直したさゆりの身体をしっかりと掴み、
さゆりの唇に吸い付くと腰を動かしはじめた。
さゆりの頭の中はパニックに陥っていた。
しかしここで演技をしなければ終わらない、終わらない。
そう必死で心に言い聞かせ、屈辱の中さゆりは感じ入った表情をし「あぅん」と声を出した。
「カット、オッケー」
大磯の声が飛ぶ。
斉藤はその声にあわせるように、さゆりの中に生暖かい液体を放出した。
斉藤は滑った性器さゆりの陰部から抜くと、
さゆりの耳もとで「よかったよ」と声をかけた。
さゆりは屈辱に震えながらシーツで身体を隠した。
涙目の陽子がすぐに駆け寄って来て、さゆりにバスタオルを掛けた。
さゆりは陽子に抱えられながら、逃げるように控え室に入った。
控え室の中で、さゆりは羞恥と悔しさから泣き崩れた。
あの日のことが脳裏に貼り付いて剥がれない。
あの後、さゆりは羞恥に耐えながら残りの撮影を終えた。
撮影を終えたさゆりの心はたくましく、そして空虚になっていた。
それが女優というものなら、きっとさゆりはその時女優になったのだろう。
「それでは、これで」
「お疲れ様でした」
不満げな記者を横目に二人はスタジオから出た。
スタジオの外に出ると、唐突にフラッシュが次々とたかれ、
数十人のマスコミが二人を取り囲んだ。
「一体なんなんですか!」
「やめて下さい」
二人の言葉を無視して、マイクが向けられる。
「一体何なの!」
「おたくの社長が人を殺したんですよ」
「社長はあなたの夫ですよね、今の御気分は」
「市川さん、社長が殺人を起こしたのは、今回の映画のこととかかわりがあるんですか」
陽子の顔から血の気が引く。
さゆりは陽子の手を引くが、陽子は呆然として動かない。
「陽子さん、陽子さん!」
さゆりの呼び掛けにようやく我に帰った陽子は、
さゆりと二人マスコミをかき分けタクシーに飛び乗った。
二人はマスコミを振り切り、ホテルに駆け込むとテレビを付けた。
郡山が谷口を殺した。
郡山は失踪した後、街をずっと彷徨っていた。
どれだけ、街を歩こうと、風俗で女を抱こうと、
抱かれている陽子の顔が頭からはなれない。
あれから一度郡山は事務所に戻った。
その時、ちょうど陽子が谷口の腰に手をまわし出ていくところだった。
郡山はその場で身を隠し二人の背中を見送った。
谷口に抱かれている陽子の感じ入った顔が頭に浮かび郡山は叫ぶ。
うぉおおおおおお。
どうしてだ陽子、なぜだ陽子、陽子、ようこ・・・
谷口、谷口、たにぐち、タニグチ、たにグチ、タにグチ、
たにぐちぃいいいいいいいいい
半狂乱となった郡山は、谷口を付け狙った。
そして、焼肉屋から一人出てきた谷口を郡山は刺した。
焼肉で膨れ上がった腹を引き裂いた。
マスコミがさゆりのいるホテルの前を取り囲んでいる様子を、
裕介はテレビ画面を通して見つめていた。
ワイドショーが喜々として事件を伝えている。
裕介には一体何が起こっているのかわからない。
ワイドショーは数々の憶測を並び立てる。
さゆりと大磯との関係、マネージャーと谷口との関係。
つい最近まで自分の彼女だったさゆりの置かれた状況が
裕介には上手く理解出来なかった。
さゆりはホテルで一人不安に苛まれていた。
陽子は事情聴取で警察に行っている。
どうしたらいいの。
テレビではさゆりと陽子の醜聞が実しやかに伝えられている。
逃げたくても逃げられない。
さゆりは携帯を手にする。
「裕介」
さゆりの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「裕介」
こんな最悪の状況でさゆりの頭に思い浮かぶのは裕介の顔だった。
その時、唐突に携帯が鳴った。
「もしもし、裕介!」
「おいおい、なんだ。大磯だが」
「えっ」
「悪いな、裕介でなくて」
「何ですか」
「そう露骨に不機嫌にならなくてもいいじゃないか。今から会えないか」
「いやです」
「助けてやると言ってもか」
「・・・どう言う意味ですか」
「君このままじゃ、もう芸能界にはいられないぞ。
でも、俺は君をかっているんだよ。女優として一流になれるってな。
だから、君を助けてやろうと思って、大手の事務所に話を持ちかけたんだよ。
君の返事次第では助けてやれる」
「・・・本当ですか」
「ああ、本当だ」
「・・・わかりました」
「そうか、だったらどこで会うのがいいかな」
「ホテルはマスコミに囲まれてますので・・・私の部屋で」
裕介はテレビを消した。
さゆりのことが憎くても、さゆりの今の現状をざまあみろとは思えなかった。
携帯を手にしてもアドレスを消した今、さゆりの番号はもうわからない。
裕介はいてもたってもいられず部屋を出た。
バイクに跨がり、さゆりのマンションに向かう。
マンションにつくと、案の定部屋の明かりはついていない。
辺りを見回してもマスコミ関係者はいないようだ。
どうしてここに来たのか裕介は自分でもよくわからない。
傷心のさゆりとよりを戻そうなんて気は毛頭ない。
でも、さゆりのことを見捨てるなんて事も今の自分にはできない。
車のヘッドライトが近づいてくる。
裕介はバイクを通りの曲り角に置き隠れた。
マスコミか、そう考えていたらタクシーから降りてきたのはさゆりだった。
「さゆり」
声を掛けようとして、思いとどまる。
中年の男が続いて降りてきた。
二人は親密そうにマンションに入っていく。
「ふざんけんな」
裕介は心の中で叫ぶ。
こんなとこまで来て俺は何をやってるんだろう。
さゆりはもう自分の手の届かないところにいるのに、裕介は心底情けなくなる。
マンションを見上げると、部屋の明かりが点った。
カーテンが開かれ、ベランダの扉がゆっくりと開く。
見たことがない女の顔をしたさゆりがベランダに出てきてゴミを置いた。
さゆりがまた部屋に戻る。
裕介は暫く見上げていた。
すると、部屋の明かりが消えた。
やっぱりな、裕介は情けなさから笑いが込み上げてくる。
裕介はバイクに跨がり帰ろうとしたが、かぶったヘルメットをボックスに入れる。
何を思い立ったのか、マンションに駆け寄り、
マンションの壁にそって立っている電信柱をよじ登り始めた。
さゆりの部屋は三階にある、裕介はそこまで昇るとベランダに飛び移った。
裕介は自分でも何をやっているのかと呆れていた。
それでも、自分の行動を抑えられなかった。
ベランダに飛び移った時に気付かれたかと思ったが、気付かれなかったようだ。
裕介は扉に音を起てずに近づくと、すぐに中の様子が伺い知れた。
声が漏れ聞こえる。
さゆりの喘ぎ声が・・・
裕介はゆっくりとカーテンを少し引き中を覗き込んだ。
ベッドの上で男にさゆりが跨がっている。
下にいる男は手を伸ばしさゆりの胸を掴んでいる。
さゆりは自ら腰をくねらせている。
「あぁあん、気持いいぃ」
さゆりの声が裕介の脳に響く。
さゆりは男に抱き着くと唇に吸い付いた。
裕介はその場にへたり込んだ。
耳を手で覆い、その場でうずくまる。
しかし、それでもさゆりの喘ぎ声が聞こえてくる。
もうやめろ、もうやめろ、もうやめろ。
裕介は呟き続ける。
何分たったのだろう。
裕介は耳から手を放す。
もうさゆりの声は聞こえない。
裕介はカーテンから覗き込む。
ベッドには男しかおらず、気持良さそうにいびきをかいている。
さゆりはシャワーでも浴びているのだろうか。
ドアが開く音が聞こえた。
光りが差し込み、さゆりが裸のまま出てきた。
手には包丁を持っている。
さゆりはゆっくりと男に近づく。
男は起きる様子がない。
さゆりはベッドの脇にまで近づくと、包丁を振り上げた。
「やめろ!!」
裕介は部屋に飛び込んだ。
男が裕介の声に驚いて飛び起きた。
「・・・ゆうちゃん」
さゆりは呆然と裕介を見つめる。
「やめるんだ」
裕介は涙を流しながら言う。
さゆりの目からも涙がこぼれ落ちる。
「・・・どうして」
さゆりの振り上げていた手が落ちる。
その瞬間を見逃さず大磯が飛びかかった。
さゆりと大磯が揉み合いになるが、さゆりは大磯を払い除ける。
さゆりは再び、包丁を大磯に向ける。
そして、大磯に突っ込んだ。
「うっ」
「・・・ゆうちゃん」
裕介がさゆりと大磯の間に割って入り、裕介の腹に包丁が刺さった。
大磯は事の重大さに怯え慌てて逃げ去る。
「ゆうちゃん!ゆうちゃん!」
「・・・さゆり」
「ゆうちゃん。・・・わたし・・・」
「・・・俺は大丈夫だから。心配いらないから」
「でも、でも、ゆうちゃん!」
「・・・大丈夫・・・」
「ゆうちゃん・・・ゆうちゃぁぁぁぁん!!!」
さゆりはベッドに寄り掛かり眠っていた。
ベッドには裕介が。
裕介は目を覚ます。
首を横に向けるとさゆりが眠っている。
病院のベッドの上。
さゆりははっと、目を覚ます。
「ゆうちゃん」
「・・・さゆり」
「ごめんね、ゆうちゃん」
さゆりは涙を流す。
裕介は首を横に振る。
「・・・俺、さゆりのこと・・・ずっと好きだったんだ
あの映画見た後も、電話で仕事貰うために寝たって聞いた後も
どうしてかわかんないけど、きっとはじめて本気で好きになった人だから、
どうしたら嫌いになれるのかわからなかったんだ。
さゆりのことをほんとに憎んだし、二度と会いたくないって思った。
でも、さゆりのことが気になってどうしょうもなくて、そんな自分が嫌になってた。
さゆりがどんどん凄くなっていくのを妬んでたのかもしれない。
だから、結局何もできないまま、毎日バイトしてただけだった」
「ごめん。私が全部悪いんだよ」
「違うよ。そうじゃない。さゆりが一生懸命だったのはよく分かってるから。
俺ほんとのこと言うと、今でもさゆりが好きなんだ」
「・・・ゆうちゃん」
さゆりは情けなく微笑む。
「俺やっとわかったんだ。さゆりのこと嫌いにはなれないって、
そう思えたら、すっと楽になれたんだ、そうだ俺も頑張らなくちゃって、
さゆりに負けないぐらいに頑張らないとって、
そのためには自分の口ではっきりと言わなきゃならないって、
そして、ようやく今なら言える。
・・・さゆり別れよう」
「・・・ゆうちゃん」
さゆりはその場で泣き崩れた。
裕介の傷の具合は思ったほどに酷くなく、二週間後には退院できた。
今は心機一転大学に入るために予備校に通い、勉強に励んでいる。
予備校で気になる子がいるが、昔のようにやっぱり告白出来ずにいる。
陽子は芸能事務所をたたみ、夫に対する悔恨を抱えたまま
持ち前の美貌をいかし、水商売をしながら夫の帰りを待つことにした。
現在は陽子目当ての客で店は繁盛している。
大磯はあの後マスコミにあることないこと叩かれ、
女子高生のパンツを盗撮した挙げ句、覚醒剤でつかまり、実刑を受けた。
さゆりは裕介が告訴しなかったこともあり、書類送検ですんだが、
その後マスコミの激しいバッシングにあい女優としての道は閉ざされた。
しかし、映画のDVDはアダルトショップにも並ぶなど、空前の売上を記録した。
さゆりは今でも一部のマニアの間ではカリスマ的な人気を博し、
そして、彼等には伝説の女優の呼称で呼ばれていた。
一方その頃さゆりは世間の盛り上がりをよそに、
料理教室に通いはじめ、可愛いエプロン姿で肉じゃがを煮ていた。
目下花嫁修行中。